ARTCOURT Gallery

Exhibitions

髙木智子「きのうとよくにてるきょう」

2021.11.13 [sat] - 12.18 [sat] 11:00-18:00(土曜日17:00まで)※日・月・祝 休廊 |作家在廊予定|11/13, 25, 27

この度、アートコートギャラリーでは初となる髙木智子(b. 1989)の個展を開催いたします。

溢れんばかりの色彩に思わず指で触れたくなる絵具の凹凸、その中に見え隠れするモチーフの姿。髙木は「私は(あなたは)一体何を見ているのか?」という素朴な問いを背景に、描く対象と自らの認識の間に潜むズレと、イメージと絵具の物質性が互いを作り出すと同時に抑圧し合うという絵画上の矛盾を重ね合わせ、「見えるようで見えない」「バラバラなようでひとまとまりの」絵画世界を生み出してきました。今回の個展では、毎日少しずつ変化する景色や同じ名前でくくられてはいるが一つ一つ異なる存在など、コロナ禍の日々を過ごすうちに目に留まるようになった、身近な世界を形づくる“類似と差異”、そして、“昨日とよく似ている今日”という時間の連なりに焦点を合わせ、新たな試みとなるモチーフやインスタレーション手法による新作群を発表します。

髙木は2015年に京都市立芸術大学大学院の絵画専攻油画を修了。2014年に「京展」(京都市美術館)で市長賞・京都市美術館賞を、翌年には「新鋭選抜展 琳派400年記念」(京都文化博物館)で読売賞を受賞するなど、在学中より注目を集めてきました。近年も国内外で精力的に発表を続けており、今後、さらなる活躍が期待されます。

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【作家の言葉】

平らな面に絵を描いています。
前に立ったとき、「全部を見ることが出来ているような気がする」ところが好きです。
同じ名前で呼べてしまうものごとや、何度も通る道、連続し繰り返す物事は、少しずつ違います。
通りすぎた場所を振りかえり、自転車を引き返して見るものを、写真に撮り、描きました。
来た道を振り向いてみる時、知らない場所を見るようです。

目を開いていると、色のついた形の分布が見えます。
見つめたものの大きさが不確かになること、目はいつでも動いていること、
目の前の状況は全て目に映っているはずだが、確かめきれないこと。
それらを毎度、驚きをもって実感します。
「描く」と、「見る」を往来しながら、ひとつの小さな関係を作ります。
必要なのは、個別の関係という小さな部分を均一に混ぜて一塊にしてしまうのではなく、
別々にとっておくことです。

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【作品解説】

髙木智子はこれまで、民家の庭やタバコ屋のショーウィンドウなど、旅先や外出先で目にした、見ず知らずの「誰か」が作り上げた風景を主なモチーフとしていました。他人の趣味嗜好を色濃く反映した世界から受け取った不可解さと、妙に惹きつけられるアンビバレントな感覚によって、髙木自身の「見る」行為は、余さず見ようとする意志と見たいものだけ見ようとする欲望の間を振り子のように揺れ動き、さらには描くことを通して、モチーフの過剰な他者性の中にみずからの思惑を介入させてゆく––。髙木にとって絵画とは、客観と主観の両端を行きつ戻りつする過程で増幅する「不可解さ」を可視化し、世界と自分との距離感を確かめる行為そのものでした。
コロナ禍の影響で遠出の機会が減った近年、髙木は自宅近くの通い慣れた道で出会ったものを描いています。「誰か」が日々繰り広げる焚き火の準備や、「誰か」が手入れをしている用水路の景色など、それらはやはり他者の意思が見え隠れする事物や風景ですが、何度も目にするたび、刻々と姿を変え続けます。そして、それを見る髙木自身も、立ち位置や心境など、その都度異なる状態で対象に視線を送っています。繰り返される日常の中で、少しづつ変化する存在どうしが螺旋を描きながら邂逅を繰り返すような、どこか親密な関係が生まれ、それは髙木の作品世界に「不可解さ」だけでは説明できない揺らぎと広がりをもたらしているかのようです。そこには、対象の内に宿るもうひとつの主観的な世界を、客体化するでもなく自己に同化するでもなく、距離を隔てたまま手を繋ごうとするかのような、ある種のきわどさを感じ取ることもできます。
世界の全てを理解すること、見ることはできない。むしろ、理解できる、見ることのできるものの方が圧倒的に少ないこと。その埋め難い距離を受け入れた上で、それでもなお、対象と自分、変化を内包する双方が触れ合い続け、そのわずかな接触面に醸成されていく断片的な世界と向き合うことで、生きる実感を手に入れようとする髙木のまなざしを、本展を通して一人でも多くの方と共有できればと思います。

出展作家

髙木智子